イドノナカ -狭い日常の憂いの喜びの-

世界の事はしらないけれど、僕は僕の事を知っている。目に見えたもの、聞こえたもの、言葉にします。

夏ほど寒い季節はない

どうもカエルです。

 

梅雨に入り、外気温も夏さながらに暖か...暑くなり、電車はもちろんあらゆる施設で冷房が稼働し始めた。むしむしとした外から冷房の効いた内へ入った時の快感は言葉に出来ないものがある。

 

しかし幸せな気持ちは長く続かない。何故なら僕は重度の寒がり。そして冷え性持ちだ。

 

男性の4割以上が「自分は冷え性

http://gooday.nikkei.co.jp/atcl/report/14/091100031/072900078/?ST=m_bodycare

 

昔から身体が薄く、小柄な僕は筋肉の量も少なく脂肪もない。日頃はYouTubeか本を読んでダラダラするのが好きな干物なので運動もしない。だから冷え性なのは至極仕方のない事だと思っていた。しかし男性の4割が冷え性と聞いて驚いた。世の中には同じ悩みを抱えている人が結構数いるのかもしれない。

 

さて、寒がりの人たちはこの暑い暑い季節にどんな風に苦しんでいるのか。自分の経験を主に挙げてみようと思う。

 

  1. 電車

人の往来が多く、常に車内を冷やす必要のある電車は寒がりにとって辛い乗り物だ。バイト先や大学まではかなりの時間電車に乗っていなければならない。駅に着く度に扉が開き、汗をかいた人たちは幸福な表情を浮かべて乗り込んでくる。その一方で、強めの冷風に晒され続け、寒がりの顔色は青くなっていく。降車駅までまるで拷問に耐えるように過ごすのである。

 

 2.授業 or オフィス

電車と状況は似ている。冷房が常に掛かる空間に長くいなければならない授業、または働いている人にとってはオフィスが凍える空間となる。世の中、極度の寒がりがいれば当然極度の暑がりがいる。そして夏は彼らの主張が優先される。何故なら暑さが引き起こす熱中症の方が何倍も命を落とす可能性が高いからだ。また設定温度を変えることも授業中となれば勇気のいる行為で、かなりの人が寒いと思っていても行動に移さないのも事実である。

 

 3.スーパー

スーパーは正直年中寒い。特に海産物やお肉が並ぶコーナーから漏れ出す冷気は足元から蝕んでくる。そしてこの時期はスーパー全体が冷房によって冷やされ、逃げ場が無くなる。お菓子コーナーも生活雑貨コーナーも長く滞在出来ない。同じく冷え性を抱える母もスーパーの低温化に苦しんでおり、夏だというのに重ね着をして買い物をしている。

 

 

このように、暑いはずの夏に幾人もの人が寒さに苦しんでいる。夏に迎えるこのクーラー氷河期はもはや個人個人の問題では無い…と思う。

 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/冷房病

 

冷房病。こんな言葉が世の中には存在する。医学的に疾病とは認められては居ないが、一種の病状として世間には認知され始めている。

 

症状の一つとして、自律神経の乱れが挙げられる。Wikiの記事によれば、体温調整を司る自律神経は5℃以上の急激な気温の変化に、耐えられないらしい。自律神経が乱れれば、感情がコントロール出来なかったり汗がかけなかったり不眠になったりと、無意識に人間が行なっている行為に支障をきたす。

 

確かにこの時期は夏だというのに汗の出が悪くなる。寝つきは悪くなり、食欲も湧かなかったりする…既に冷房病の魔の手に掛かっているのか。

 

外気温は年々上昇している気がする。どこかの街では暑さを町おこしにしているほどだ。気温が上がれば上がるほど、室内の温度は下がる。そして寒がりはゆっくり出来る場所を失っていく。外気温が高いせいで厚着は出来ない。一体どうしたらいいのだろうか…今年の夏も悩みながら長袖に腕を通すことになりそうだ。

 

 

 

藤井四段の勝利と神谷八段の人柄

どうもカエルです。

 

大学の授業を終えて帰宅すると、力尽きたように寝てしまった。コンタクトレンズの異常な乾きに目を覚ましたのが深夜2時半頃。部屋に時計がないので、時間の確認はスマートフォンで済ます。そして時間確認のついでにwebニュースを見ていると藤井四段の29連勝の文字が飛び込んで来た。(寝起きにニュースを見たせいか記事の文章を読み間違えたままブログを書き、そして恥を掻き...修正済みです)

 

 

ホッとした。というのがまずの感想。それから湧き出る「これとんでもない事じゃね?」という興奮。本当におめでとうございます。

 

凡人がほぼ運だけで作った記録を天才が実力で抜いたというのは将棋界にとってとてもいいことだと思います。

藤井四段について熱く語った記事↓
藤井四段のはなし - イドノナカ -狭い日常の憂いの喜びの-

 

上記の記事で書いた通り、藤井四段が強いのは天才だからではなく実力だという僕の主張。

 

長らく28連勝の記録(これもとんでもなく凄い記録だと思う)を守り続けてきた神谷広志八段。藤井四段の勝利を実力の勝利と讃えた。かっこいい。

 

さみしい気持ちがたくさんありますが、おめでとうと言うべきですね

藤井四段連勝記録更新 抜かれた神谷八段は… | NHKニュース

 

やはり記録を保持するということは誇りになるし、一方でいつかは抜かれてしまうのでは無いかという重圧に耐えなければいけない。一国の王が若き革命家によってその座を奪われる...という例えは言い過ぎか。それでも筆舌し難い苦しみを味合う事は必須だ。寂しさを語る神谷八段の人間臭い感じが好きだ。

 

かつてピートローズという野球選手が安打数で記録を持っていた。その記録をかのイチロー選手が抜いたのだ。それも日米合算として。これに是非を問うピートローズ。

【イチロー日米通算新記録】ローズ氏「比較できない」日米合算での比較に批判的 - 産経ニュース

 

メディアはこの記録に注目し、まさかの舌戦へと発展していった(…ように見えるがイチロー選手はクールに大人な対応をしただけ)

 

ピートローズの気持ちが痛いほど分かる。晩年野球賭博により野球界を追放された彼にとって、安打数の記録が唯一彼を偉大な野球選手だということを証明していたのだ。それを日本からやって来た選手に抜かされる。これは彼の威厳に関わる問題だ。

 

僕だってそうだ。英語学習に青春のかなりの時間を費やしてようやく半人前ぐらいにはなったのに、子供の頃に親の仕事の都合で英語圏で生活していましたーという帰国子女を前にすれば、僕の英語力など霞んで見える。

 

それを環境の所為にしたくなるのは、自分の努力や苦しみを否定された気持ちになるからだ。自分だって英語圏で暮らせる環境があれば今頃ペラペラだ!って。でも実際彼らに話を聞くと、大概始めは会話が出来なくて地獄のような日々を過ごしている。寧ろ彼らの努力の方が上だったりするのだ。イチロー選手なんて、努力、そしてストイックの代名詞だ。

 

本当に凄い人に出会うと才能がうんぬんと言い訳して自分を守りたくなるのは世の常であり、人間の性のような気がする。僕はこれに気付くのに20数年もの時間を要した。

 

だからこそ神谷八段の言葉が如何に素晴らしく、藤井四段を褒め称えるものかが分かる。

 

こんな言葉をこれからも探していきたい。そしてそれをシェアするのが僕のブログの一つの目標なのかもしれない。

 

これからも藤井四段の活躍に注目していきたいと思っています。でも将棋ブログではない。ただの一般人の思考の掃き溜めだ。 

 

29

藤井四段の対局が今日行われる。勝利すれば連勝記録を29に伸ばして単独1位に踊りでる。

 

連勝という言葉の響きが好きだ。負け無し、ただ強さを誇示する熟語。新記録となれば歴史になる。その歴史が刻まれる瞬間を目の当たりに出来るのはなんたる幸運か。

 

この先、藤井四段のような若さと強さを兼ね備えた棋士が現れるとは限らない。双葉山関のように世代を超えて語り継がれるかもしれない。

 

将棋の勉強をしたいと今更思う。駒の動かし方しか知らない僕にとって彼らの闘いは異次元だ。様々な攻防が繰り返されるプロ棋士の盤上は計算と策にかける勇気が行き交う。それを見ると人間の知性の限界は計り知れないと感じる。

 

中飛車が好きだった。棒銀も好き。実際どういった戦略かは知らないがそういった言葉を知っているだけで自分が強くなった気がする。

 

藤井四段は今日、どんな戦略を使うのだろう。何事も理解できれば面白さは倍増する。

 

ともあれ藤井四段、頑張ってください。応援しています。

スーツが嫌いな就活生

恐らく僕だけではないはず。スーツが嫌い。

 

まず動きにくさが好きではない。シワになるような動きは制限されるし、重い、嵩張る、暑いの三重苦。しかし学生服がない今、スーツは唯一のフォーマルな服装だ。だから緊張する場、例えば冠婚葬祭もお世話になる。そしてスーツを着ること=緊張という図式が生まれ、不快になる。

 

悲しいかなスーツは就活生の勇者の鎧だ。

 

僕はパーティの隅で補助魔法を唱えていたいタイプ。勇者の鎧は似合わないし、そもそも装備出来ないのではと思う。間違った装備で就活というダンジョンに乗り込んでいる。そりゃ嫌いになる。

 

余談はさておき、就活はスーツの着こなしで決まると最近ほとほと感じる。服屋が言いそうな事だが、どこかそんな気がする。この言葉の意味するところは、スーツの質がいいとか悪いとかではない(ちょっとは関係するかも)。

 

企業説明会や面接へ行くと、僕は他人の服装が気になる。ネクタイの色や結び方、ボタンをどこまで留めているかとか。

 

それをみて僕は、ほつれかけた第2ボタンを眺めて、表面についた毛玉を撫でる。クリーニング仕立てなのにどこかだらし無い。成長を見込んで大きなサイズを買ったのに、成長しなかったので靴先は虚しく、合わない足は靴擦れする。

 

観察を経て気づいた事は、生地のデザインや質ではなくて、その人のやる気によって、スーツ姿が変わるって事。

 

スーツが似合う人は目の輝きが違う。真っ直ぐな背は自身の能力への信頼だ。やはりスーツは勇者の鎧だ。僕はそういう人に出会うと、自分の合否よりその人の成功を祈ってしまう。勇者を補助するタイプのキャラ。

 

自分もいつか勇者になれる時がくるのだろうか。本当に熱意をもって仕事を決める事が出来るのか。

 

スーツを洗おう。ほつれたボタンは直してあげよつ。もう暫く一緒にいないといけないから。

 

 

 

 

深夜の雨

深夜のこの時間に雨の音を聴いている。

 

24日はアルバイトがあった。それで1日が終わった。

 

アルバイトがある日はアルバイトの事だけで頭の中が一杯になる。遅刻しないように早く準備しないと。電車に乗る時間間違えないようにしないと。制服に着替えるのもテキパキしなきゃ。先輩後輩に挨拶をしっかりしなきゃ。

 

今のアルバイトは好きだ。でも性格的にどんなものにも気を張ってしまう。昔から不器用で、人一倍集中してやっと一人前。常に気を張らないとミスをする。

 

好きなものだからこそ、余計にそこでミスをしたくなくて緊張してしまう。少しの綻びも許せない。でも失敗する。だから自分を責める。

 

最近になって、この性格が如何に損なのかを分かってきた。全ての物に力を入れすぎなのだ。だから気を抜けないし、アルバイトだけで体力を使い果たして、ただ家に帰って寝る生活。

 

ソファに寝そべって、お菓子を食べて、好きなユーチューバーの動画を見る。至福の時。スキャンダルは非日常を与えてくれるから良く見る。恋愛禁止アイドルが恋愛を飛び越えて結婚。刺激的だ。

 

こんな風にだらだらと言葉を連ねるのも好きだ。言葉というのは不思議で、自分の心の内を曝け出しているのに、どこがで言葉だけが一人歩きしだす。読み返した時に、まるで他人が書いたかのように感じる。ポストモダン文学の考え方らしい。言葉は発した瞬間に信用出来ない存在になる。って黒木渚という(僕の好きな)アーティストが言っていた。なるほど。

 

ブログというのは自己主張の場だ。見られてなんぼ。自惚れてなんぼだ。僕の言葉をみて、読者に何か感じるものがあれば嬉しい。そして、その言葉を僕が見返す。ジャメビュのような感覚。そして自分を顧みることが出来る。

 

とどのつまり、成長したいのだ。アルバイト一つに1日を潰さぬように。遊び一つに1日を潰さぬように。沢山の事を、気を抜きながらやるんだ。だらだら言葉を書いて、だらだらお菓子を貪って。

 

幸せって感じるのは難しい。だからこそ小さい事に喜びを持とう。未来は白地図だけど、そこに盛大な絵は描かない。盛大な絵ほど描くときに力がいる。そして自分には殆描けるものではないと気づいて挫折する。

 

寝よう。何が書きたいのか分からなくなってきた。恐らく、眠たい。

 

 

夏が来る&今日の一曲 vol.2 Sunshine Girl by moumoon

天気予報で今日は30度を超えると言っていた。それを聞いて僕は「まだこの時期に30度を超えるなんて事は無かった」と心の中でひとりごつ。それを毎年言っている気もするし、本当に今年は暑いのかもしれない。

 

30度を超えると真夏日と呼ぶ。真夏日という言葉を聞けばこれまた「春はどこにいった。梅雨はどこにいった」と恒例のように思う。歳を重ねたせいか、時の流れが速い。どっかの学者がいうには、歳を重ねていけば人生の分母が増えるから一年が短く感じるらしい。つまり5歳児にとって一年は5分の1だ。齢80の老人にとって一年は人生の80分の1。体感16倍の速さで一年が終わる。恐ろしい。

 

真夏日の今日を境に、夏の予定を立てよう。夏には夏らしい事をするのが一番だ。でないと、夏もきっと僕を置き去りにして過ぎ去っていってしまうかもしれない。日焼け止めと半袖のシャツ、サンダルを並べて夏を迎えよう。

 

 

今日の一曲。夏、、、というよりも陽射しがただただ強かったからこの曲にしました。陽気を音符に変えたらこんな曲になるんだと思う。ボーカルの軽やかな英語と呟くような日本語。5月病を6月まで延長している僕には清涼剤のように沁みてくる。毎年毎年日に焼けて、こんがり色付いてしまうので、今年はしっかりと日焼け対策をしているが、この曲を聴いていると無性に日に当たりたくなる。気をつけよう。

 

 

 

藤井四段のはなし

実力=年を重ねた数というのは間違いだと実績で持って否定する藤井四段。

 

でも僕は彼が天才だからという一言で彼の強さを表せないと思う。確かに藤井四段の強さは群を抜いているし、その若さ故に彼よりも長く生きた将棋士からすれば天賦の才という言葉に逃げ口を求める気持ちもわかる(これは憶測)。

 

でも彼は一体、人生のどれだけの時間を将棋に費やしたのだろうと思う。幼い頃に祖母の影響で将棋を始め(ってテレビが言ってた)、それからというもの寝ても覚めても食事の時も将棋の事を考え(これも憶測)、負けたら泣いて悔しがったという。きっと自己反省と改善を辛抱強く辛抱強くして来たのだろう。それは強くなるはずだ。

 

僕は英語を約5年間学び続け、一年の留学も経験した。それでもネイティブスピーカーの5歳児の英語力にも達しないレベルだと思う。だって向こうはまさに寝ても覚めても食事の時も英語だから。英語に接する時間も自己反省も改善も日々の事。そう考えると、環境というのも所謂"天才"に必要な要因だ。

 

言語の学習も楽器の演奏もスポーツも、毎日少しでも練習しなさいと大人たちは口を酸っぱくして言い続けた。幼い僕はそんなことしても才能には勝てないと思ってた。でもやはり大人の言うことは正しかった、と今更思う。

 

藤井四段、これからも応援します。彼は誰よりも努力を弛まず、あらゆる可能性を手放して将棋の道を歩んで来た。その努力が今報われ始めたのなら、まだまだ報われて欲しいと思う。

 

僕も四段ぐらい癖っ毛で、毎日丁寧に髪を洗いトリートメントとプローを欠かさない。この努力、報われてほしい。